【自己紹介】年収550万→900万。小売からGAFAへ逆転した全戦略
はじめまして!「つっきゃん」です!
「外資系マネージャー」 「年収900万円」 「GAFA(ガーファ)」
こうした言葉だけを並べると、いかにも「元から能力の高いエリートの成功物語」に見えるかもしれません。しかし、私のこれまでの歩みはその真逆です。
滋賀の田舎で育ち、野球に明け暮れたものの挫折し、大学では留年。社会人1社目は激務で、学生時代よりも手取りが減って絶望する……。そんな「どん底」を知る人間が、いかにして30代で人生を逆転させたのか。
初投稿となる今回は、私の自己紹介を兼ねて、**キャリアを劇的に変えるための「生存戦略」**の全容をお話しします。

挫折から始まった「持たざる者」の20代
私の原体験は、中学・高校時代の野球にあります。滋賀の田舎で、中学までは「地域で1番」のレギュラーとして鳴らしていました。自信満々で飛び込んだのは、甲子園常連の強豪校。
そこで待っていたのは、人生最大の挫折でした。
今やメジャーリーグで活躍するような選手やプロ野球で活躍する選手達の異次元の才能を間近にし、自分はベンチにすら入れない。3年間、泥にまみれても届かない壁。あの時の「自分は何者でもない」という無力感は、30歳を過ぎた今でも鮮明に覚えています。

その後、指定校推薦で進んだ大学では、解放感から遊びすぎて1年間の留年。新卒で入ったのは、業界最大手のスポーツ系小売企業でした。
「稼げない」という恐怖
入社して驚いたのは、給与の低さでした。学生時代のバイト代よりも手取りが少なく、1社目の8年間はずっと「お金の不安」が付きまとっていました。
しかし、野球で学んだ「負けず嫌い」の精神だけは死んでいませんでした。 「ここで結果を出さなければ、一生這い上がれない」 その一心で働き、事業部最年少での昇進、スーパーバイザー、新規事業の責任者と、とにかく泥臭く実績を積み上げました。
転機:3度の辞表と「環境」の変革
30歳を目前にした時、私の中に一つの結論が出ました。 「このままでは、どんなに努力しても業界の構造上、年収の壁は越えられない」

意を決して、当時お世話になっていた部長に辞意を伝えました。実は、合計3回も辞めると言ったのです。1回目、2回目と引き留めていただき、熱い言葉をかけてくれた部長には今でも感謝しかありません。あの時の「お前はもっと外で通用する」という後押しがなければ、今の私はありませんでした。
その後、経営コンサルティング会社へ転職。未経験の領域でしたが、小売時代に培った「現場力」を武器に、初年度から法人営業とコンサルの「二刀流」で結果を出し、入社最短でチームリーダーに就任しました。
そして結婚を機に、理想の環境を求めて岡山への移住を決意。同時に、長年の目標だったGAFAの一角である現職への転職を成功させました。
- 小売時代:年収550万円
- 現在(外資系):年収900万円
この2年間で、私の市場価値は劇的に変わりました。
このブログで伝えていきたい「勝てる技術」
転職は今やスタンダードですが、実際に「キャリアアップ」できている人は驚くほど少ないのが現実です。私はこのブログを通じて、以下の2つの柱を伝えていきたいと考えています。
① 豊かさを引き寄せる「戦略的転職術」
どうやって企業を選び、どう面接で交渉し、入社後にどう振る舞うべきか。私の成功だけでなく、数多くの「失敗談」も包み隠さずシェアします。
② どこでも通用する「仕事の獲り方」
GAFAに入って再確認したのは、**「スキル」よりも「重要な仕事を任せてもらう力」**が重要だということです。 現在、私は岡山で重要なPOC(責任者)を複数任されています。入社1年目から信頼を勝ち取り、圧倒的なスピードで結果を出すための「仕事術」を言語化していきます。
プロとして「自分を整える」
もう一つ大切にしているのが、パフォーマンスを最大化するためのライフスタイルです。 朝5時に起き、ヨガ、瞑想、HIIT、そしてアンチエイジング。スポーツの世界でトップ層を見てきたからこそ、「ビジネスマンもアスリートであるべき」という信念を持っています。
体を整えることが、いかに判断力を高め、年収に直結するか。私が実践しているルーティンについても発信していきます。

最後に:キャリアに「遅すぎる」はない
20代の頃、毎日「会社を辞めたい」と思いながら、出口のないトンネルを歩いていた私でも、戦略と少しの勇気で人生を変えることができました。
- 今の給料に納得がいかない
- 自分の市場価値を上げたい
- 地方にいながら、世界基準の仕事がしたい
そんな思いを持つ方々にとって、私のリアルな体験談が、明日を変える一歩になれば幸いです。
これから、どうぞよろしくお願いします!

